オフトナイズ式「逃げの移住」完全ガイド

今後は「中庸力(ちゅうようりょく)」が大切な世の中になる

balance01日記
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今の時代、とにかく情報量が多すぎるんだよね。

ネットが普及しだした2000年頃から、「自分自身で情報を取捨選択する能力が大事」とか言われてきたけど、これからはそれと別に「中庸力(ちゅうようりょく)」が必要だと思うよ、って話。

「中庸」とは

まずは聞きなれないこの言葉を説明しよう。

中庸(ちゅうよう)」とは元々儒教の用語で「極端な方向に偏らない」「バランスのとれた状態」というような意味だよ。

東洋医学でも「中庸」という言葉はよく使われていて、その出典は貝原益軒という人が江戸時代に書いた健康本、「養生訓」らしい。 健康でいるためには、何事も偏りなく過不足ない状態が好ましい、みたいな本なんだって。

何事も極端は良くない、ほどほどにバランスよく、というのが「中庸」。
言ってみれば「極論」の反対語みたいなもんだろうね。

この「中庸」がよく徹底出来てる人を「中庸力のある人」と名付けてみる。

極論から極論に流れる大衆

「中庸」の意味が分かったところで、現状の話をしよう。

ネット上での個人の声の大きさと同調圧力の暴走

今の時代TwitterやFacebookなどのSNSが普及したので、個人が簡単に意見を発信出来るようになったよね。

未だに自覚のなさそうな人が多く見受けられるので手前の話からするけども、SNSを使ってネット上に意見を発信することは、全世界に意見を発信してるのと同じだからね。話した瞬間消えていく音声とは違って、世界中が自由に見れる状態で文字として残す作業をしてるということだよ。

そして有益な情報を発信する人、芸能人や政治家、経営者、スポーツ選手など、そもそも影響力の持った人の声がマスメディアを通さなくても一般人に届くようになり、ここまではよかったんだけど、一般人からの意見も発信できるようになってしまったので少々問題が。

カリスマ性に流されて盲目的に情報を信頼してしまう人や、この世の全てに文句を言ってしまう人などの「極論に進んでいってしまう人」の声が目立つようになってしまったのだ。

とにかく最近の主流SNS全てに備わっている機能が、「情報の発信」と「シェア」、「同調の意志(いいね等)」の3つなので、情報の広まり方によっては意見が対立して大論争になってしまいかねない構造なっちゃったんだよね。

さらに、その「極論に進んでいってしまう人」が「影響力を持った人」だった場合、同調と批判が一気に展開されるという構図が簡単に成立する。

例えば、とある影響力を持った人が「このトマトうまい!」とか何気ないことを発信したとしても、盲目的なファンが「この人が言うならそのトマトはいい物だ」とシェアしまくる一方で、「宣伝乙」「トマト嫌いな人の気持ちも考えて下さい」みたいな批判のリプが集中するわけよ。

事実上、年齢制限が不可能なのも問題

仮に意見が対立するようなトピックでSNS上で大論争になった場合、次から次へとやってくるリプやシェア、いいねを付けてくる人全員のプロフィールなんかいちいち確認しないよね?
というか、確認してたとしても、そもそもプロフィールなんか正確な情報書いてるとも限らないから、あってないようなものだよね。

とすると、大人と子供が入り乱れての論争になるわけだけれども、相手が子供かどうかなんか判断出来ない以上、真面目に論争なんか出来るわけがない

いや、子供の意見は聞かない、という意味ではなく、単純な能力差の話よ。大人同士でも知識や教養の差で話が噛み合わないことがあるのに、子供が出てきたらそれがより複雑化するという意味。

「子供」とひとくくりに言っても、わかるように説明すれば理解出来る人と、まだ未熟で真面目に話し合いすら出来ない人が混在してるわけだから。

そもそも相手が子供だってわかってれば、子供にもわかるような説明、納得してもらえるような説明が出来るかもしれない、という選択肢がある。また、多少横柄な物言いや言葉遣いをされても「まぁ子供だから」と許容出来る範囲があるけども、子供かどうかわからなかったら「説明を理解しようとしない」「相手との妥協点を探る気が無い」と思ってしまったり「失礼な態度を取られた」「煽られた」と取ってしまう可能性が存分にあるよね。

これでまたこじれていくのよ…。

相手が子供なのかな?と思って子供にもわかるように超簡単に説明したら、相手がただの物分かり悪い大人で「お前ナメてんのか」みたいになったり、逆に、もし子供が参戦してたとして、粋がって大人を装ってたけど能力が足りず、言われてることがわからないばっかりに「議論」を「煽り」にしかキャッチくれないこともあるわけよ。しんどい。しんどいよね。

可視化された世論はどうしたらいいのか

最悪、感情むき出しの発信に引っかかることはあるかもしれないけど、その話に積極的に参戦していかないことが「中庸」。「大変だなぁ」ぐらいでいいのよ。第3者であるという自覚を持とう。他人は他人、自分は自分という線引きが出来ていないとしんどい思いばかりするよ。

仮に一般人、有名人総出の大論争になったとして、ここで、「中庸力」のある人はどういうリアクションをするのかというと、

「へー。」

こんだけよ。何か行動するとしても「いいね」つけるぐらいかね。

よくTwitterで起こるような大論争の時って、もはや全員感情的すぎて脊髄反射でツイートしてる人が多いから「場が荒れる」。それをやっていいのはせいぜい当事者同士ぐらいでしょ。他の人は部外者なんだから、結論が出るまでは反応しない方がいい。

結論が出た時に、自分なりに考察をするのはいいと思うけど、他の人の考察に食ってかかったらまた二次災害の始まり。「へー、他の人はこういう考えなんだなぁ」で処理しよう。気に入らなかったらスルーしたり、「いいね」やシェアをしなければいい。

少なくとも、SNS上で誰かの発信に対してネガティブ方向の感情を前面に出すのは得策じゃないよね。何かあれば引用とか使わずに自分のタイムラインでのみ淡々と発信すれば事足りると思うよ。一般人なんだしね。

中庸力があれば気持ちに余裕が出来る

みんなでつらくなる方向に進むのはやめたい

SNSで疲れ切ってアカウント消しますって人、結構多いよね。

人とたくさん繋がっている人ほど、影響力がある反面、自分が出す情報に相当な注意を払わなければならないから精神的に疲れるんだよね。

でもさ、本来は疲れたなら休む、なんか面倒なのが来たらブロック、とか自由にやっていいハズなのに、やりづらい状況になってるだけだと思うんだ。一般人のアカウントなら基本的に仕事じゃないんだし。

中庸力のない人が、どっちに転ぼうが極端に叩きまくったり極端に持ち上げたりするもんだから、当事者は「応援してくれた方には申し訳ないけどアカウント閉じます。不快にさせた方、すいませんでした。」みたいなことを言わなきゃいけなくなるんよ。

「中庸」って言葉が思い浮かぶ典型的な状況がまさにコレ。

極論を展開する双方を納得させる方法は無いんだよね。応援してた人は「やめないで」とか「頑張って」って応援する一方で、叩いてた人は「早く消えろ」とか「逃げた」とかまだ叩くわけで。
解決策が無いんだ。中庸力のない人に囲まれちゃうと。

中庸力のある人が増えない限り、この状況は減らせない。

誤解した「中立」がややこしい

中庸力があるように見えると思いきや、さらにめんどくさい第3勢力が「なんか間違えた中立勢」。

例えば、「こういう迷惑行為をされて悲しい」というような内容がものすごい拡散されて、普通の中庸力の無い人たち(「普通の」っていうのもアレだけど)が脊髄反射で、「それは迷惑行為じゃない、お前が神経質なだけ」派 vs「その行為をやったやつを捕まえろ、吊し上げろ」派に割れて極論を展開してるとする。

この意見の合わない2派がしばらく揉めてると登場してくるのが「なんか間違えた中立勢」。

「そもそもそういうことをされるあなたが悪いのでは」とか「ここで意見言ってるやつは考えが浅い」みたいな「なんか違う方向から何か言いたい」派が一定数いるんだよね。どっちの意見でもないけど、なんかモノ申したい人。

発信者とそれに対して極論を言う人、どの方向にも一石投じる系のことを言ってくるので、一見「中立」っぽくっ見えるんだけど、結局その第3勢力も話が落ち着く前にさらに話題を別方向に広げてるだけの中庸力の無い人なのだ。

実際、その話題が長引いたりするとその第3勢力内でも極論が生まれて感情論になることもある。

他人は他人、自分は自分

気持ちに余裕が無いから他人に食いつくのか、他人に食いつくから気持ちに余裕がなくなるのかは正直言ってわからないけど、 私は自分が生きていくので精一杯なので、他人の為に怒ったり励ましたりする元気は無い。そして、1人の発信が原因で大勢の人が極論を展開しているのを見るのも割としんどい。

この昨今のSNS論争のパターンで疲れてない人はもうそのまま進んでもらっていいと思うけど、私と同じようにSNS論争で疲れてきちゃった人は、周りを気にすることなく離脱していいと思うよ。

感情のぶつかり合いから一歩引いたところにいると、落ち着いて物事を考えられるようになるし、脊髄反射で発信するリスクや、自分の立場、環境などいろんな物が見えてくる。

いろいろ考えた結果、「あ、これは別に乗っからなくても問題ない話だな」ってのがスッと判断出来るようになるので、精神的にすごく楽になるよ。

人の事と自分の事を明確に線引き出来る能力は、メンタル面においてとても大事。

東洋医学も極論を嫌う

最後に、体調管理について。
そもそも私が「中庸」という言葉を知ったのは東洋医学系の薬局のコラムなんだよね。

私が患った自律神経失調症はまさにバランスが重要。自律神経が自律してバランスを取れない状態なので、私自身がバランスを取る手助けをしなければならないんだ。

かなりいろんな症状が出たし、長期間まともに生活出来ず、今も自律神経に気を配る生活をしているので「中庸」の重要さは本当に身に染みてわかっているつもり。

「〇〇(食べ物)が体にいい」と言われたからといって、それしか食べなかったらむしろ体に良くない。バランスのいい食事に始まり、適度な運動、適度な日光浴、適度な睡眠、とにかく「中庸」を守ってこそ保たれる健康なんだよねマジで。もちろんメンタル的にもストレスを溜めるのはよくないけど、あまりにストレスがなさすぎるのも良くないんだって!ぎゃふん!それも「中庸」かい!

だから私は自分の健康を維持する為、無意識に他人を疲弊させない為に「中庸力」のある人でいたいと思うし、今後はこの「中庸力」が「協調性」と同じくらい人格的な能力指標として重視される世の中になると思う。

おしまい

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